大人は子どもの感じている世界を知らずに一つの解釈を押しつけてしまうことがある。この原因を‟見える”という中動態の状態から考察する。
日本で最も昼夜人口比率の高い千代田区は‟見えない”都市である。
会社員や学生が目的地に向かって押し寄せる毎日を繰り返し、子どもの頃のような‟見える”は隠され、子どもはそのルールの中で過ごすことを押しつけられている。
その中で、多くの人が出入りする駅前があり、かつ大人のいるビル街と子どものいる公園に挟まれた一角がある市ヶ谷駅前は、‟見える”感覚を取り戻せる場として適している。
そこで‟見える”感覚を取り戻す可能性が潜在している図書館を、知識の収集にとどまらない創造的主体として感受することのできる拠点として設計する。
順路が一つに限られることなく‟見える”という身体性を伴う空間体験を生むねじれ螺旋構造と、検索行為の違う大人と子どもが同じ場所を通りながら体感的に検索する場を生む配架構造の両面から考え、起伏のある市ヶ谷駅周辺を引き込みながら、大人と子ども、知と身体を繋いでいくことで、新たな発想が発芽する場となる。そして体験は図書館にとどまらず、公園、外濠へと広がっていく。
対象地域:
九段北4丁目