
1923年に完成して以降、東京駅と皇居という、東京を代表する2つのモニュメントを繋ぐ都市の軸として機能してきた行幸通りは、都市の中にあって「なにもない」空間を残す貴重な空間である。しかし、祝祭的活動を行うために設けられたその広大な道路は、周囲の開発によって構築された地上/地下ネットワークの接続を分断してしまうなど、このエリアの日常的活動に対して上手く機能していない。
本計画では、行幸通りを、日常的活動の中心と言える丸の内地区と祝祭的活動の中心と言える皇居の2つの要素が相互に貫入しあう巨大円環体として捉え直し、異なる2種の活動が共存する公園「GYOKO PARK」として再計画する。言い換えれば、日常的活動を許容しうる都市の中のモニュメントをつくる試みである。丸の内地区の開発の歴史を踏まえ、地下に眠るグリッド状の構造体に新しい曲面を挿入する形で、2つの大きな言語の相互補完により紡がれる小さな空間から構成される空間を計画した。中心の行幸路で祝祭的活動が行われているさなか、その下をくぐり抜けるような曲面体では子どもが遊ぶ姿が同時に見られるかもしれない。
対象地域:
丸の内一・二丁目